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【災害公営住宅建設中】被災地の宮古鍬ヶ崎の今は

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今月の11日で、あの大震災から4年が経とうとしております。
4年ですか・・・・
今日の被災地の宮古市鍬ヶ崎です。



瓦礫撤去されて工事は始まってますが、
復興にはまだまだです。
4年でこの状況ですので、区画整理が終わり住居が建てられるようになり
新しい町作りが完成するには、かなりな年月がかかりそうです。
岩手県では、未だ2万6千人余りの被災者が仮設住宅で避難生活を余儀なくされており
みなし仮設を含めると3万人以上が避難生活続いております。
テレビでは、被災地がどうなっているのかも放送されるのはごく一部かと思われ
全国のみなさんは、被災地はもう復興していて普通の生活をしていると
思っていると思いますが、被災地はまだまだ復興はしておりません。
復興の遅れもあり被災地の沿岸地域からの人口流出減少が年々増えてきています。
見切りをつけて、新天地を求め被災地から離れた被災者も多くなってきています。

さて、被災地の鍬ヶ崎ですが、一部の区間で住居が建てられるようになりました。
1月31日で工事が終わった箇所です。

鍬ヶ崎の上町のこの辺りの数区画は工事完了です。
この辺りは、歯医者さんがあった道路向かえ辺りの区画です。
郵便局とホテル跡地があった区画です。


現在、52区画工事が進んでいます。


区画割り当てが決まった被災者は住居を建てられるようになりました。
そして、宮古漁協の冷凍・冷蔵庫工場も完成し、今月末から操業が始まります。
あの昨年の4月の火事からようやく工場完成です。
田老にある宮古漁協工場に餌を買いに行くこともなくなり、
やっとこっちで餌買いができ近くなりました。
震災から4年、田老までのトラックの油代かかりました。
今月からは鍬ヶ崎なので油代もかからず、プレハブの冷凍ストッカー餌置きも中止です。

港町と山根町に建設予定の災害公営住宅です。
鉄筋コンクリート5階建て40戸の公営住宅です。
基礎地盤改良も完了したようで、足場がくまさって、
基礎の型枠が出来上がってきています。

コンクリート流しこまれの工事の流れかな。
今年の11月~12月には、この災害公営住宅完成予定です。
入居は来年なのかな。
区画整理工事完了前には、鍬ヶ崎で1番目立つ建物だと思います。
佐原と日の出町にも災害公営住宅、建設されており、近く完成されます。
日の出町の災害公営住宅は、二中学校向かえの右斜面に完成され
5月から入居可能となります。知り合いの漁師もそこに入居するので
仮設住宅からの引越しが色々大変そうになると言ってました。
今年中には、あらかた宮古の災害公営住宅は完成されると思われます。
仮設住宅から災害公営住宅へ。
来年からは、仮設住宅も取り壊しや集約化も進みそうですが、
区画整理工事完了してから区画に住居を建てる予定の被災者は、
待っていないとならないので、まだまだ避難生活が続きます。
色々と難しいことがあるので、
ひとえにこうでああでというのはできなかったりと
被災地では問題や課題など難しいのがあります。


蛸の浜方面


造船所裏の敷地は、清水川の排水溝の配管工事が完成したみたいです。

鍬ヶ崎の区画整理は、まず最初に清水川の排水・配管工事が先でそれが終わってから本格的な工事となるそうです。


日立浜の須賀。
この光景も防潮堤建設が始まると次第になくなり
防潮堤が完成されると、普通にもう海が見えない高い壁の世界になります。

高さ10.4mの防潮堤、進撃の巨人状態です。
海側でなにが起きているのか変化は、あまり分からないのかな。


閉伊川の水門工事も始まってます。


岸壁側は、矢板を打ち込みされ遮られました。
藤原側を航行するコースになってます。


鉄の棒を地盤に打ち込んでました。
結構太い鉄の棒でした。昨日、航行横切る時に船からみましたが
徐々に地盤に打ち込み入って行くのをみると、凄いなと感じました。
こんなの見ることも滅多に無いと思いました。

水門は、平成30年度3月末完成予定です。
水門ができれば、宮古町は守られますが、
その行き場を失ったのは鍬ヶ崎~藤原、磯鶏、白浜、高浜、
津軽石、赤前と湾奥へと向かいます。
しわ寄せが他にいきますので・・・・
水門は本当に必要なのかと疑問にも思います。

今後も被災地がどうなっているのか・いくのかをブログで情報発信していきます。

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