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宮古市による鍬ケ崎地区の復興町作りの案説明

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先月の29日に鍬ケ崎小学校にて、
宮古市による今後の鍬ケ崎地区の復興町づくりについての
説明会がありました。
鍬ケ崎地区の住民が鍬ケ崎に集まり(参加できる住民)、
宮古市から説明案(4つのパターン)を受けました。

まずは、第一案パターンです。(写真上記)

その前に、青いのが非可地域(住宅建築できず住まれない)
オレンジ色四角が、移転候補地
黄色が、可住地(住宅建築できる)
オレンジ色が、面的嵩上げ
紫色が 構造規制等条件付き可住地
緑が 防潮堤

第一案ですが、防潮堤の整備をせずに、浸水地域を非可住地とし
住宅地は背後の高台や市内に移転する。

この案は、もう鍬ケ崎がなくなります。住めなくなります。
市内の移転か、写真上部の黄色い枠内の区域に移転。
上部写真の枠のとこは、山中です。
場所は、国道45号線から浄土ヶ浜へ向かう道路(旧有料道路)に
トイレがあると思います。(昔、有料道路があった時の料金所のとこ)
そのトイレ付近の山を造成して その土地を市が貸して住居させる。

第二の案。
自然地形を活用して防潮堤の位置を山側に整備する。
予想浸水深が大きい堤外地は非可住地とする。
予想浸水深が大きい堤外地は非可住地とし高台等へ移転。

上記の写真の 灰色の線は今までの道路です。(浄土ヶ浜へ向かう道路)
漁協ビルから下って上町~下町の道路が左
魚市場から臨港通り~日立浜~が右側
鍬ケ崎に住んでいる・住んでいた方には、分かると思います。
鍬ケ崎小学校下付近の区域と、日立浜の一部のみが可住地となります。
青い部分は、建物を建てることはできず、住むこともできません。

第三案。
防潮堤を湾全体に整備し堤内地はすべて可住地とする。
予想浸水深が小さい区域は現地再建を基本とする。
予想浸水深が比較的、大きい区域は建物の構造規制等により
条件付き可住地とする。
予想浸水深が大きい区域は、高台等への移転を行う。

第二案に比べると、黄色い部分が広がりました。
漁協ビルから下って上町~下町の道路左手の区域は可住地。
しみずばし~港町一部含む
右側の地域は非可住地。(紫色は、構造的規制等条件付き可住地)

緑色の線は、防潮堤です。右側の道路すれすれに防潮堤ができます。





第四案。
防潮堤を湾全体に整備するとともに、二線堤の効果を持つ道路の改良整備と
その背後地を面的に嵩上げする。なお、一部の予想浸水深が小さい区域は
現地再建を基本とする。
改良整備された道路と防潮堤の間は、建物の構造規制等により条件付き
可住地とする。予想浸水深が大きい区域は高台移転を行う。

赤い点線は、道路嵩上げで、左区域のオレンジ色区域は、面的嵩上げ。
防潮堤は高さ9メートルだそうです。
今現在のヘイ川の防潮堤(光岸地~築地)は嵩上げされるのかなと。
市役所から映した津波の動画みたと思いますが
あの防潮堤をまた高くするらしいです。(9メートル)
となると、高くすればしわ寄せが行きます。
防潮堤が途切れている 宮古大橋付近から川上方面。
南町~宮町~小山田方面へ。
津波の威力が増幅し河川敷の、のり面を超えて襲ってきます。


今回は、討論とか行われず市からの説明で終了しました。
今後の鍬ケ崎の復興町作りの案がこうですよという説明。
自分の住んでいた、日立浜は、第二案までは住むことはできません。
第三・第四案からギリギリの線ですが、
建物を建てて住むということはできないと思います。
もう、高台移転か、市内への移転しかありません。

説明会に参加した鍬ケ崎地域の住民も、自分の住んでいる場所が
どうなのか各自違います。今後のことを考えてみましたが、
おそらく10年後も先に進まずこのままなのかなと思った次第です。
はっきりいって、10年・20年以上先の話なのかなと。
今の団塊(60代以上)の場合、亡くなってしまってから着工になっちゃう
可能性もあります。
今後10年以内は、まず工事が完成することは不可能だと思いました。
20年30年先なのかなと。
そうなると、お年寄りはいなくなっています。
自分は36歳ですが、おそらく60歳になっても防潮堤も完成できずになのか
ギリギリなのか・・・・・・・・・・

被災者、今現在の年齢からすれば、ずっとずっと先です。
人口流出、そして人口減で 完成するころには鍬ケ崎に人が
ほとんどいないと予想します。

仮設住宅は2年猶予です。
仮設住宅入居している被災者の一番の不安は、二年後の住宅確保。
アパートや借家の空きが、ほとんどないと予想します。
そして、田老や山田方面から宮古に移ってくる被災者もいると思います。
2年後の住宅確保は、ほぼ難しいです。(今でもほとんどない)
そして、お年寄りは避けては通れない老いがあります。
体のどこかに痛いとこができ不自由になり、寝たきり、介護・・・・・・・・
一人ぐらしのお年寄りの孤独死、
身寄りがあっても面倒みる息子・娘が宮古にいない。
息子・娘が住んでいる県内・外に移住する。(面倒見てもらう)
介護施設も 数年待ちです。まず、入所できるのは難しいです。

また大きい地震や津波は高い確率で来ると思います。
子供や孫の代のことを考えると、住宅建てても津波で持っていかれては、
また子供や孫に同じ思いをさせると被災者は思っています。
もう海側に住まれないと。
今後の、鍬ケ崎地区の復興案、討論があると思いますが
どのようになるのかは、まだまだ先の話になると思います。
今現在そして2年後先のことが最重要です。

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