岩手県宮古市から日々起こった色々な出来事など発信しています

東日本大震災から12年 被災地の鍬ヶ崎の今は

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東日本大震災から今年で12年経ちます。

あれから色々ありすぎました。被災地の復興も終わりました。

あれから12年、戻って来た被災者は少なかったです。

というか、戻って来たくない人が多いのかと。

上からではちょっと分かりずらいですが、下に行くと空き地がかなり多く占めているの感じます。

売地看板もそれなりに見られまして、もう建物は経つのってないんじゃないかと思っています。

3年位前から千島列島・日本海溝大地震が切迫しているの報道され、2011年より大きな津波が襲うとか。

防潮堤を破壊したらば、駅周辺にある市役所一階が水没するみたいで

甚大な被害が出ると試算されています。

防潮堤反対派から賛成派に変わった人も少なからずいて

防潮堤が無ければ、千徳方面にまで津波行っちゃうような感じなので

防潮堤ができて良かったと思う人多くなっているのかなと。

また、津波が来て被害となると海側に住むのは危険になりますし、

町中方面も被害大きくと、津波津波に悩まされます。

上町方面、ホテルや漁協ビルが見えます。

割と上町の方が建物が多いかなと印象になります。

あれから年寄りはさらに年を取り、高齢化に。70代が大半を占めています。

この世代が一番多いです。もしこの世代が亡くなると、人口比率にポカリと穴が空き人口減少が大きく・・・

被災地もですが地方でも過疎化、そして少子高齢化は如実になっていますよね・・・

2040年には自治体の半数が消滅する可能性が高いとか

宮古市はどうなるんだろうか・・・・

さて、大震災での復興ではコンパクトシティになった田老は一か所に集めて住まわせるように町作り。

宮古市は広すぎます。特に水道管の老朽化、ライフラインの復旧には膨大なお金が今後かかりますし

人口減少もあり点在している地域までとは・・・・

田老のコンパクトシティ化はいい判断だったのかと思われます。

鍬ヶ崎は、被災者が戻って来ない(出て行った)てんでんばらばらに散らばってしまい

土地だけが残り人が住むような町にはならず空き地化になりました。

以前Twitterでつぶやいていましたが

と、現実はこんな感じです。

本音というかリアルなことはTwitterでつぶやいてますのでTwitterフォローよろしくです。

あと、三日後で大震災から12年です。

当時(2011年3月11日)からブログで情報を発信していました。

大震災後の宮古(2011年上半期)←クリック

どのような状況だったのか、ブログをご覧ください。

●其の一↓

●其の二↓

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