岩手県宮古市から日々起こった色々な出来事など発信しています

仮設住宅生活で

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明日で震災から10ヶ月です。
津波で家も流され行くあてもなく避難所生活へ。
そして仮設住宅入居。昨年は、色々多難な年でした。
仮設住宅生活していて、風除室はかなりいいなと思っております。
あ~~ 風除室~~ みたいな。
仮設住宅生活、それぞれの世帯・被災者によって
実に人間らしさが感じられると思うこの頃です。

仮設は狭くてもう置くところもないくらいギュウギュウまではいきませんけど
足の踏み場もない感じです。物を置けるスペースすら難しいんです。
ごちゃごちゃしています。ここの仮設は部屋が6畳と4畳半です。
他の仮設は、4畳半と4畳半のとこもあります。
うちは、6人家族なので仮設は狭いです。

避難所生活は、プライバシーもありませんでしたが
仮設には避難所よりは、プライバシーがあります。
それだけでもいいように思います。
避難所だったらば、人前でパンツ一丁で着替え~~
なんてのありましたし。常に人前にさらされて見る・見られる側にもなります。
小学校の時のプール時間での教室での水泳着替えありましたが
男女一緒でしたんで、秘儀 パンツ返しという荒業を体得した覚えがあります。
そんなような感じでしょうか。人様の着替えが目の前や隣やらで・・・・・
避難所は常に周囲に見られ・見るとこです。
集団で生活できない方には、精神的にも辛いと思います。
被災者同士でのいざこざや喧嘩も起こります。やっぱり人間ですから。
避難所生活していて被災者と出た言葉は、『おらぁがどうは、避難民だぁがな』でした。

世界各国・日本国内の皆様からの支援・救援があり、今があります。
本当に、ありがとうございました。
避難所から、仮設に入居した被災者・アパートや借家に入居した被災者
親戚の家などで生活している被災者などなど。
それぞれの被災者が、てんでんバラバラになりまして
同じ鍬ケ崎地区でも、誰がどこに行って住んでいるのかとかが、
知らない・分からないというのが、かなり多いです。
仮設に入居しなかった近所の被災者がどこに住んでいるのかも分かりません。
そんなことが多いですし、人づてに聞くことで知ったというのもあります。

よく皆さんから言われるのは、『なにか必要なモノはない?困ったこととかは?』です。
確かに困っています。必要なモノはあります。
でも、必要なモノや困ったこと、被災者側からすると違ってきています。
困っていることは、一番は、住宅確保です。
被災者で一番の不安です。仮設は2年です。2年後には出ていかなければなりません。
沿岸沿い、被災者が多くて住む場所を見つけられるか・・・
アパートや借家があるかどうかです。
震災後、もう早い者勝ちみたいなものなのかもしれません。
田老や山田からの被災者が宮古に移ってくるかもしれませんし
宮古に転勤となった方が、アパートを見つけることが困難となりそうな・・・・・・

高台移転や雇用問題、そして生活再建。
今年は、被災者 生活再建が前提でしょうか。
仮設に居ながら、今後どう生活再建していくのか日々悩み苦しみです。
今週中にまた、鍬ケ崎小学校体育館で鍬ケ崎の復興計画案を
住民同士の話し合いがあります。
鍬ケ崎地区をどうするか、防潮堤は、嵩上げするのか
家を建てられるのかどうなのか
色々意見や議論だそうですので、参加しようと思います。

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